「暁」1976年 サロンド プランタン賞 受賞

 学部の4年最後の作品だったと思う。
彫塑作品で石膏像にするつもりだったが淀井教授の助言で「FRP」に鋳造した。
一見ブロンズのように見えるが「FRP(エフアールピー)」と言う。
まだ歴史的に新しい素材である。
これもやはり煉瓦色のイメージだが、こちらは夕焼けではない。
夜明けの光である。
今、まさに昇らんとする朝日に向かって立つ姿をイメージした。
農家の朝は早い。
母は一番最後に寝て、朝は一番早く起きた。
農家の嫁は、昼間男たちと同じく農作業もやり夕食も作り片づけもし、
一番最後に「しまい風呂」にはいり、
朝は誰よりも早く起きて、朝食の支度をし皆と一緒に出かけた。
私が生まれた時、家には長男である父の弟妹がまだ5人もいた。
1番下の父の妹は私と大して年の違わない小学1年生だった。
母はその弟妹たちの面倒もみた。
さらに母屋の隣りの隠居所には生まれつきの脚の不自由な
父の伯父が寝たきりだった。
親である、年寄り婆ちゃんが面倒をみていたが毎日のお風呂は
母がおんぶ連れてきてはは入浴させた。
年寄り婆ちゃんはその寝たきりの息子よりも小さい位い小柄な人だったが、
母は大柄だった。
私のすぐ下の妹が生まれ頃は年寄り婆ちゃんを始め、
父の両親を含めて13人の大家族。
その中で働いて来た母にとって朝日を浴びることはとても大切なことだろうと思う。
きっと毎日「お天道様」からエネルギーをもらっていたに違いない。

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